最近観た映画「火天の城」でイメージはつかんでいた
安土城を妻の発案で、訪ることになりました。
安土駅前の城郭資料館で1億数千万円かかったという、
安土城の模型を見てさらにイメージアップして
自転車を借り、安土城跡に向かいました。
標高199mの安土山全体を利用した山城で
スケールの大きさに圧倒され、疲れました。(歳のせい?)
天主跡に立ち信長も眺めたであろう琵琶湖を眺めながら、
よくぞこの地に、信長の構想を具現化した城を構築した
ものだと、責任者や、各所に配置された方々の苦労を忍びました。
地形を生かして、
城としての機能、全国の武将達へのにらみを備えた外観
を持った城として、
重機の無いあの時代に、
わずか3年という短期間で、完成させた
という事実に信長の天下統一への
気迫を感じられる城跡でした。
城下や近燐の人々を始め、宣教師など特殊な人に
驚きや感動を与えることは出来たでしょうが、
惜しむらくは、
その3年後、明智光秀の謀反により信長は自刃、
混乱の中、安土城天主が原因不明の放火により、
焼失してしまったたことです・・・
豪華絢爛だったという天主閣を含めて、
年月の経過による城としての熟成期間を経た
風格ある城として、完成することが無かったのが
残念でなりません。
信長が好んで舞ったと言われている
「人間五十年~、下天の内にくらぶれば~、夢幻のごとくなり~・・・」
の一節が風に乗って静かに・かすかに聞こえてきたような気がしました。
↓ 大手道
安土城の入り口から本丸に向かい一直線に伸びている
道幅8m、両脇排水溝2m、全長180mの急こう配の道
↓ 入り口を入って右側、前田利家邸跡地
↓ 入り口を入って左側、羽柴秀吉邸跡地
↓ 大手道の石段材料に使われている石仏が何体もありました
↓ お金を置くのは止めた方がいいと思うのですが・・・
↓ 天主跡直下、全体が急こう配な階段状の坂ですので、入り口で杖を貸してくれます
↓ 天主(天守では無い!)跡地
南北それぞれ28mで、不等辺三角形の石垣で囲んでいる。
↓ 礎石が、1.2m間隔に並んでいます
5層7階建て(地下一階、地上六階)の天主閣、高さは33mの木造構造建築
↓ 天主跡よりの眺望
当時は、琵琶湖の内湖に3方が囲まれ、南側だけ開けた地形だった
↓ 二王門(信長が甲賀の長寿寺から、天正年間に移建した)
↓ 金剛力士像
↓ 室町時代の建物
甲賀の長寿寺から天正3~4年に信長が移建した
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