アメリカの高官の沖縄の方々に対する侮蔑な言葉は、
沖縄県民だけに抱いているのではなく、
日本国民に向けられている、
アメリカ人の本音ではないでしょうか?
軍事大国であるがゆえのおごりの気持ちが出るのは
自然で仕方がないのでしょうか?
今日は、そのアメリカの無差別攻撃によって
大きな大きな被害を出した3月10日なので、
いろいろ考えてしまいました。
記録をひもといてみましょう・・・・
第二次世界大戦末期、防御能力のほとんど無い東京は
アメリカ軍の焦土作戦により、3月から5月の間に市街地の
50%を焼失して、多くの犠牲者を出したのでした。
僕は当時一歳9ヶ月、横須賀に住んでいましたが、
父親は軍隊に招集され満州に行っておりましたので、
母親の実家、茨城県に疎開しておりましたので、
被災はしませんでした。
特に、甚大な損害をうけた空襲は、
3月10日0時07分から2時37分までの間の空襲でした。
38万1300発(1,783 t)の焼夷弾を落とされ、
深川地区、城東地区、浅草地区、芝地区が焼かれ、
その火災の煙は高度15,000mの成層圏まで達したそうです。
(以前NHKの放送でアメリカが、日本の木造住宅を焼くため
焼夷弾の研究をした映像を観た記憶があります。)
資料によりますと、
・ 焼失面積 東京35区の1/3 以上の面積が焼失した。
・ 当時の警視庁調査によりますと
・ 死者 8万3793人(民間資料では、10万人以上)
・ 負傷者 4万918人
・ 被災者 100万8005人
・ 被災家屋 26万8358人
だそうです。
資料を見せられても、ピンとこない恐ろしい数値です。
戦争の残酷さを身をもって知っている方々が亡くなって
しまい、戦争は二度としない・したくない!
という思いが薄れてしまうことを恐れております。
勝者であるアメリカに都合の悪い資料は、GHQに徴収されて
しまいましたが、警視庁の石川光揚さんが、当時の警視総監から
撮影の任務を受け撮影した30枚の写真を
自宅の庭に埋めて徴収を免れ、
現在、事実を語る貴重な資料となっております。
今朝のテレビで空襲の被害にあったことを示す遺品を
集めてありながら、日本軍が満州で行なった蛮行との
バランスの関係で常設の展示館建設計画が
宙に浮いたままだとのこと。
議論が苦手なのは国民性でしょうか?
冷静に議論を重ね結論を出して欲しい!
東京大空襲の犠牲者に、黙祷!!
↓ 下の写真はすべて、フリー百科事典「ウィキペディア」より、引用しました。
空襲前と空襲後の航空写真
↓ 空襲を行なったB29戦略爆撃機(これが、325機飛来)
日本の対空能力が無に等しいことを見抜かれ、機銃とか人員を
減らして、通常の倍、焼夷弾を積みこんで、低空で来襲してきたそうです。
↓ 焼け焦げた遺体の山です。(人には見えません・・・)
石川光陽さんが撮影した30枚の中の一枚です。
↓ 母子と思われる二つの遺体。
子供を背負って逃げたらしく、母親の背中が焦げていない!(合掌)
石川光陽さんが撮影した30枚の中の一枚です。
↓ 鎮火後後の街の風景
石川光陽さんが撮影した30枚の中の一枚です。
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