尾崎将司。
かって無敵を誇ったプロゴルファー。
苦労してトップゴルファーの地位を築いた先輩たちを
抜群の体力を生かしたゴルフで、押しのけ、
実力・人気ともナンバーワンの地位に長く君臨しました。
その豪快な飛距離から、ジャンボの愛称をつけられ
ジャンボ尾崎と呼ばれるようになったのでした。
小技もうまかった!
格好良かったなー・・・
ところが、不思議なことに
マスターズをはじめ、海外の試合では、優勝争いが出来ず、
予選落ちして帰国し、
また、「宿題をもらって帰ってきた!」
と言うセリフを何回も聞いた記憶があります。
そして、
海外から帰って疲れているでしょうに、翌週に優勝!
などということが何回かあったと記憶しています。
全盛のころでしたが、尾崎は「内弁慶」などと
悪口を言われていたことがあったような気がします。
でも、魅力あるゴルファーで、
昨年10月には、日本人として4人目となる
世界ゴルフ殿堂入りを果たしました。
何度も候補にあがりながら、果たせなかったのは
通算113勝をあげていながら、
海外では1勝しかしていなかったのが原因と言われておりました。
今年、1月で64歳になりましたが、
50歳から参加出来るシニアツアーには出たことはなく、
今年も、レギュラーツアーでがんばっていくようです。
単に、まだまだ若いもんには負けん!と、
思っているだけではない、何か信念を持っているのだと思います。
僕の好きな選手の一人として、これからも応援していきます。
今回、アマチュアの松山選手が、
初出場で予選通過の姿をみて、
尾崎選手のマスターズの成績を調べてみました。
・ 招待・出場回数 18回
・ 予選落ち 9回(予選通過率5割)
・ 最高成績 8位(1973年)
ちなみに、当時三強と言われた青木選手と中嶋選手は
<青木選手>
・ 招待・出場回数 14回
・ 予選落ち 7回(予選通過率5割)
・ 最高成績 16位(1985年)
<中嶋選手>
・ 招待・出場回数 11回
・ 予選落ち 5回(予選通過率54%)
・ 最高成績 8位(1986年)
と、なっておりまして、予選通過がどれほど大変だったか
分かります。
原因として、日本のゴルフトーナメントのコース設定が
「やさしすぎることにある」と指摘され、改善されてきました。
難しいコースでプレーすることにより、技術の向上が図られて
いる筈なんですがー・・・・
2001年には伊沢選手が4位に入ったものの、
その後、好成績をあげた選手はいません。
今年は、19歳の青年が二人、予選を通過しました。
先の大災害で、報じられるニュースは暗いものばかり!
沈みがちな国民の気分を、この二人の青年が
明るくしてくれるかも知れない!と思い始めています。
↓ 新宿御苑の小鳥は人が近づいても逃げません。
↓ 名前を知らないのですが、きれいな小鳥です。
↓ この鳥も、何か餌をくれるのを待っているように、人に近付いてきました。
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