彫刻家・詩人の高村光太郎の最後の彫刻となった
「乙女の像」を見てまいりました。
乙女の像というタイトルから、
自分の想像では、少女体型の、
なで肩・柳腰の女性かと思ってましたが、
大きく違って、
外国の美術館で観られるような
力強い生命力、迫力を持った女性でした。
製作時、肉体年齢は70歳でしたが、
精神は充実し4・50代の気力が満ちて
いたことと推察いたします。
乙女の像の顔については、
智恵子夫人を念頭に作られたものだと
聞いていましたが、
今回、バスガイドさんから
この像のモデルは「フジイテルコ」さんという
亡き智恵子夫人似の19歳の女性だったと
教えてもらいました。
詩集は持っているのですが、
この乙女の像に直結する「裸形」という詩は
載っていませんでした。
ただ、「十和田湖畔の裸像に与ふ」という詩は
載っていました。(多分、除幕式直後に読んだ?)
この詩の後半部分を紹介しますと
女の像が二人
影と形のやうに立ってゐる。
いさぎよい非常の金属が青くさびて
地上に割れてくづれるまで
この原始林の圧力に堪えて
立つなら幾千年でも黙って立ってろ。
というものでした。
光太郎が今は亡き、智恵子夫人に対する
愛情の深さを示す詩だと思います。
光太郎が智恵子夫人が無くなって11年後になる
67歳の時発表した 「裸形」という詩を読み、
十和田湖という山の中の、
美しい湖の湖岸に立ってみますと
美術館じゃなく、この自然の中に設置されたことが
この作品の輝きを増しているように感じました。
冬から春、夏、そして秋と季節が変わる中
雨の日、雪の日、晴れの日、曇りの日、と天候の変わる中、
朝から深夜まで、一日の時間帯の中、
あの目玉の無い、2体の像は
どのような表情をし、黙って立っているのだろう?
↓ 十和田湖をバックに立つ、乙女の像です。
↓ 2体の像が向かい合っているのは、湖面に映る自分の姿と、映している自分
とが同じものであるということらしいです。
↓ なぜ目玉がないか?
像を見る人が、どの方向から見ても、自分の方を見ているように
感じられるようにしたらしいそうです。(推測?)
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